家康最初陣地の桃配山【関ケ原古戦場完全ガイドvol.11】

関ヶ原古戦場徳川家康の最初陣地は桃配山。
壬申の乱の時、大海人皇子が布陣した山で縁起のいい場所として家康も布陣したと言われています。

石田三成が布陣した笹尾山のモニュメントから見える場所が、まさにこの桃配山。
史跡は国道21号線沿いにありますが、当たりをつけておかないと通り過ぎる可能性が高い史跡です。
家康の床机石もあります。

目印はガソリンスタンド。その脇に駐車場があります。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

赤坂から移動して桃配山へ

赤坂にいた徳川家康は、西軍の主力が大垣城を出て関ヶ原に向かったことを知ります。

福島正則と西尾光教の使者が家康本陣を訪れ西軍の鞍替えについて報告しました。
大垣城で籠城戦が回避されるとあって、家康にとっては願ったり叶ったりの状況。
さっそく赤坂から午前2時ごろ出陣します。

命令が一斉に出され、まずは先鋒の福島、黒田、そして加藤嘉明、藤堂高虎松平忠吉が出陣。
大垣城の押さえには水野勝成、松平康長、西尾光教を配置しました。

さらに南宮山対策には池田輝政、浅野幸長、山内一豊、有馬豊氏を配置し、東軍に寝返ると事前に約束していた小早川秀秋の松尾山には、軍艦として奥平貞治が配置されます。

合戦は午前5時頃。

先に出発したはずの宇喜多隊に、福島隊が追いついてしまったことをきっかけに小競り合いが始まります。
この時点で合戦はフライングです。

全軍が着陣し、ようやく本線開始。
火蓋を切ったのは、松平忠吉と井伊直政の精鋭隊による銃撃でした。

詳細を知りたい方はコチラの記事をどうぞ
石田三成の陣跡「笹尾山」へ登ろう!【関ケ原古戦場完全ガイドvol.1】

桃配山に家康本人が着陣したのは午前6時ごろと言われています。
位置的には先鋒の福島・黒田の後方くらいです。

ちなみに福島隊が宇喜多、黒田隊が石田三成を攻撃するという布陣でした。

縁起のいい桃配山

ここは壬申の乱で大海人皇子が勝利したと言われている場所で、家康はゲンを担いだのではないかと言われています。

家康はこの桃配山の中腹に着陣したそうです。
合戦時に使用したとされる腰掛石と机石が残っています。

中腹とはいえ、高いところにあります。
階段を登って登るだけなので、しんどさはありません。

国道21号線の中山道の松並木のほぼ向かいにあります。

住所:関ケ原町大字野上1424-1
駐車場:8台
WC:なし

※詳細なアクセスは次の記事を御覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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カテゴリ:戦国ネタ