「真田丸の謎―戦国時代を「城」で読み解く」の真田丸跡をぐるっと回る【大坂の陣フィールドワーク】

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千田嘉博先生の本を見て、フィールドワークを行った記録です。
今回は真田山小学校から一心寺、明星学園の校庭(眺めただけ)をご紹介します。

真田丸の右端を触ったテイで写真を撮る

何度も出している図ですが、この図の緑の図。この出っ張っている部分が三光神社です。
小学校はその裏にあります。

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小学校の横のコンクリート。これもある意味真田丸っぽい。
敵(前田利常軍)の前線の兵が真田丸に入ろうとして撃たれるイメージの写真を撮ってみました。

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真田の森。何でもかんでも真田と書いてあるのが不思議。

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小学校からまっすぐ歩く道。

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この明星学園のグランドに最近の研究成果で、この場所が真田丸のどまんなかだったそうですという張り紙が。

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真田丸で必死に戦った人がいた場所は、子供たちの運動場として活用。
昔と今の差の大きさったら。この差を見る喜びがフィールドワークの真髄なのかも。

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心眼寺は真田丸認定されている

同じく真田幸村の出城跡認定されているのは心眼寺。

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新しい看板。大阪府教育委員会のお墨付き。

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心眼寺は紅葉していました。

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この通りを心眼寺通りというようです。

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心眼寺隣の興徳寺の千手観音菩薩像。大きい!

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入り口に真田幸村像があったようですが、六文銭の鉄扉に夢中になり存在を失念。
何をやっているんでしょうか。真田幸村の存在をぞんざいにした行動…

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心眼寺は大阪新四十八願所阿弥陀巡礼11番の場所で、創建から寺の定紋は真田家家紋の六文銭とされ、山号は真田山なのだそうです。
そのため、お墓がありました。

、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立したのを嚆矢とした(嚆矢とは、物事の始まりを意味)

これは冥福を祈るための場所なのですね。

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きちんとお参り。銅像の存在に気づかずすみません。

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ちなみに、せっかくなら真田丸の真ん中の道を歩いてみたいなと思いました。

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この辺だろうと推測して道の真中でカブトかぶってみました。
小学生に笑われるかとヒヤヒヤしましたがなんとか無事に撮影w

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真田丸を一周してみるというのはテンション上がりました。
真田丸すごい!わりと距離も短いのにここで何万の兵と戦ったのか!とか、3,000も自軍の兵が入るのかとかいろいろ想像が膨らみます。

読売新聞での連載でも真田丸について書かれているのでこちらもよみつつ、『真田丸の謎―戦国時代を「城」で読み解く』に沿って歩いてみるのはおすすめです。

真田丸は超攻撃的 2段射撃構造<家康編20> : 中部発 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

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カテゴリ:戦国ネタ