京都紅葉の名所であり、細川家の菩提寺の高桐院。加藤清正関連の史跡も

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京都紅葉めぐりで、高桐院にも行ってきました。こちらは細川家の菩提寺だそうです。

こちらも紅葉の名所です。縁側みたいなところで鑑賞もできてホッコリ。
戦国好きには加藤清正関連の史跡もあったので見応えあると思います。

どこかで見たことのある小道

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高桐院でおなじみなのはこの小道。

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戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として知られる細川忠興(三斎)が父・細川藤孝(幽斎)のために慶長7年(1602年)建立した寺で、玉甫紹琮を開山とする。玉甫紹琮は幽斎の弟で、三斎のおじにあたる。

創建については慶長6年(1601年)とも言うが、創建に際して春屋宗園が与えた偈(げ)に「寅十月十七日」とあり、干支の関係から慶長7年の創建とみられる。

正保2年(1645年)に83歳で没した忠興は、遺言によりその遺歯が高桐院に埋葬され、以後細川家の菩提寺として庇護される。

高桐院の歴史をWikipediaより。まさかの細川家の菩提寺とは知りませんでした。この名前を見ると本能寺の変が出てきますね…

お庭はこんな感じ。

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縁側から見た景色。いい感じですね。

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センスのない秀吉に渡したくないからわざと一部壊した灯籠

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庭にひっそり佇む灯籠は細川忠興とガラシャの骨の一部が埋葬されているそうです。

もう一基の灯籠は西の庭の奥にひっそりと佇んでいます。楓の庭にあった灯籠はこの墓標となっている灯籠のコピーです。そしてこの墓標の下には細川忠興、ガラシャ夫人が眠っています。墓標とするためにわざわざ熊本から持ち込んだ灯籠は師匠である千利休の形見です。もともと利休の所有物であったこの灯籠は秀吉に目を付けられます。センスのない秀吉に渡したくない利休は自ら名品である灯籠の裏を砕き、欠陥品を渡すことはできないと断ります。

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じつはこの灯籠の後ろ、壊れているのはそういうことだったんですね。
センスが無いってw

庭をたずねる | 高桐院その3

加藤清正が朝鮮から礎石を持ち帰って、細川三斎に送ったもの

これがその看板。

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この礎石をプレゼントしたようです。

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礎石は庭園にマッチしております。もみじが浮かんでとってもキレイ。

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紅葉感がある部分

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行った時はまだ緑色の部分もありました。

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枝ぶりが力強くていい。

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抹茶を飲みたかったのですが、混雑もしていたので諦めました。
寒そうですが真冬にも来てみたいです。

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京都・滋賀の紅葉情報 2015:京都新聞

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カテゴリ:戦国ネタ