衝撃!ビジネスマンはどうなるの?しかみ像は徳川家康の命ではなかったらしい話

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浜松市マスコットキャラクター「出世大名家康くん」がゆるきゃらグランプリ2015を制しました。
そんな浜松の徳川家康といえば、しかみ像が全面に出ています。

これは三方原の戦いで大敗を期した時、その苦い思い出を生涯忘れないようにと書かせたという絵。
しかしそんなしかみ像、実は徳川家康が書かせたものではないという、衝撃的な説があるそうです。

「徳川家康にあやかってしかみ像を…」と崇拝していた方にとっては、ズコーッと、大げさにコケてみたくなるのではないでしょうか。

家康の「しかみ像」は三方原の戦いとは無関係?<家康編13>  : 中部発 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

昭和に入って定着した話

戦国時代ですらないというなんだかショックな、新しかみ像説。

読売新聞の天下人の城によると、以下のように書かれています。

1935年(昭和10年)に徳川美術館が開館した翌年1月のこと。その際は、家康が自ら描かせたのではなく、尾張家初代の徳川義直よしなおが父親の苦難を忘れないように描かせたとされていた。この話を地元新聞での対談で語ったのが、美術館を創設した19代の徳川義親よしちか氏(1886~1976年)だったため、その後、三方ヶ原戦役画像として定着。72年に刊行された収蔵品図録で、義直ではなく家康が自ら描かせ、生涯座右を離さなかったと記されたことで、現在の「しかみ像」のイメージが固まったという。

美術館開館のPRだったんですかね。
それはそれでおもしろいフックになりますし、現代でも語り継がれているとすればストーリーとしてとても良かったのではないかと思います。

しかみ像がプリントされたロールケーキ「しかみロール」などなど、しかみ像の商品を出す会社にとっては動揺を隠せないはず。
また、しかみ像グッズを部屋に飾って、自分を戒めていたビジネスマンもガックリするはずです。

しかみ像は日本のビジネスマン、経営者さんにとってはお手本のようなストーリー。

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特に嫌なことを生涯戒めにして、緊褌一番(きんこういちばん)を常に認識させようとした方にとってはなおさらです。

我慢強い天下人というアイコン喪失は大きな問題になりそう。
もう、学術的にはそうだけど、まあいっか。とグッズはそのまま使っていかれる感じでよいのではないかと個人的には思います。

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カテゴリ:戦国ネタ