なぜ街の中に港!?不思議だけど風情がある光景がよかった安土の「常浜水辺公園」

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JR安土駅よりレンタサイクルで5分ほど、街の真ん中に突如「港の跡」がある常浜水辺公園に行ってみました。
ここは1930年代まで実際に船の往来があった場所。戦国時代は六角氏の城・観音寺城の港として使われていたようです。

街の中に港の跡というのはかなり不思議な光景。
でもすごく風情があってよかったです。

六角氏の城・観音寺城とは

常浜よりもずっと遠いですが、観音寺城は室町時代に近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城だった場所。築上スキルも発達していない時代のものなので、城としてはそれほど立派でもありません。

織田信長に攻められた時は、抵抗もせず逃げたので無血開城。以降、廃城になったお城です。

常浜は室町時代、六角氏の観音寺城外港であった場所。織田信長・安土城時代時か ら昭和初期まで続いた常浜まで琵琶湖の航路があったのだそうです。看板によると常楽寺港と呼ばれていたとか

坂道をサーッと自転車で降りると、いきなり道の脇にこんな水路が。これは立派・

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もう少し行くと常浜の看板があります。

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すぐ常浜水辺公園が見えます。駐車場もあり5−6台行けそうな感じでした。このように町中なのに一歩入ると港がでてくるのでびっくりします。

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広い水路だった様子が伺えますね。鳥がいてほっこりします。

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真ん中の石垣は畑。私有地のようです。

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木村次郎左衛門の屋敷跡の石垣もあるらしい

こちらはマニアック情報。安土城の築城に携わった近江の木村氏の石垣を見に行ったのです。
彼は信長の奉行衆で、安土城の天守を担当していたそうです。あの絢爛豪華な金ピカのアレです。

本能寺の変の際には、蒲生賢秀が日野へ避難するとき、安土全体を彼に委ねたが、以降、消息が不明になってしまったのです。本には「安土城と運命を共にしたのであろうか」と書かれていました。

そんな木村氏の屋敷は、織田信長も安土に下見に来るときによく宿泊していたそうです。
忠義の人というにおいがする木村氏の石垣跡(推定)が見つけられなかったのですが、港の佇まいを感じることが出来てとても良かったです。

こういう街の中に港があるなんて不思議な光景はなかなか見られません。
ベンチもあるので、日がなのんびりするのも楽しいかもしれませんね。

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カテゴリ:戦国ネタ