南宮山・吉川広家陣跡は不破高校横にあり【関ケ原古戦場完全ガイドvol.6】

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関ヶ原古戦場めぐりで、一番人気の石田三成の陣跡「笹尾山」をはじめ、すぐ側の島左近、黒田長政陣跡などなど、いわゆる有名武将の陣跡は歩いていける範囲にあるので、わりと回りやすいです。

しかしちょっと離れた南宮山は後回しになりやすく、2回め以降に行く感じの優先度低めになりがちスポット。

南宮山に登ることはできませんでしたが、吉川広家の陣跡を見に行ってきました。車でサクッと寄れるのでお勧めです。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

勝敗を分けた毛利一族の動き

関ヶ原の戦いで西軍の総大将だった毛利輝元。そのいとこ、吉川広家が東軍側に味方したがゆえに、軍を動かすことができなかったと言われていますね。ちなみに、関ヶ原の戦いには、輝元は大坂城の西の丸にいて、毛利秀元が参戦していました。

ウォーランドではこんなかんじ。動きませんという意志が伝わる腕組ポーズの広家。

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諸説ありますが、家康が陣を張った桃配山は、南宮山のすぐ下。敵だったらそんな場所に陣をおくかどうかで、もともと東軍だったのではないか説などもありますね。

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実際の吉川広家の陣跡とは

実際の陣跡を見に行きました。南宮山はおとなり、垂井町の不破高校の校舎のすぐ横にあります。

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迷うことはありません!わかりやすくのぼりが立っております。

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看板も。町に馴染みすぎて有り難みを忘れそうな感じですが、よーく想像してみてください。

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こういうことですから!

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本領安堵を約束したはずの家康。蓋を開けてみれば、毛利秀元は領地減封、安国寺恵瓊は処刑、長束正家は自害、長宗我部盛親も減封のちに処刑、吉川広家は毛利家で冷遇視されることになったそうです。個人的には家康の処遇が鬼に思えますが、そういうものなのでしょうか。

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南宮山。

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朝倉とはこの地域が朝倉というようです。

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そんなこんなで意外と行かない南宮山付近。
この辺りも南宮山に登りつつ、いろいろ歩いてみたいところです。

岐阜の一宮で初詣でも大人気の南宮大社もありますよ!

所在地:不破高校を目指し、その西側が陣跡です
岐阜県不破郡垂井町宮代1919−1(不破高校)

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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カテゴリ:関ヶ原古戦場