最後の名古屋歴史ナイトレポート・無制限プレゼン大会

約5年間続いた名古屋歴史ナイトの最終回が2019年1月26日・SHOW和の宿・つちやさんにて行いました。
合計20名の方にお集まりいただき、会場のキャパ的には相当オーバーでしたが、めちゃくちゃ盛り上がって楽しかったです。

おそらく史上最高の自由度だった気がします!

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細川忠興と本多忠勝の陣跡【関ケ原古戦場完全ガイドvol.14】

関ヶ原古戦場で最も新しい(若い)史跡である細川忠興の陣跡と、住宅街の中にあってひっそりと佇む本多忠勝の陣跡をご紹介します。
本多忠勝の陣跡はちょっとわかりにくですが、こんなところにあったんだ!と見つけると嬉しくなるような陣跡です。

※なお、東西両軍の陣営や陣の場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事を御覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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藤堂高虎・京極高知陣跡・中学校の中にある史跡【関ケ原古戦場完全ガイドvol.13】

関ヶ原古戦場の中でも、唯一中学校の駐車場内にある藤堂高虎と京極高知の陣跡。
平日以外は入りづらい雰囲気がありますが、観光協会に確認したところ、土日でも史跡だけは見学可能

門は空いており、車も停められます
ただし見学が終わったらすぐに退去するというルールは守りましょう。

近くには東軍の先鋒福島正則の陣跡があります。

※※なお、東西両軍の陣営や陣の場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事を御覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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東軍最前線の福島正則の陣跡【関ケ原古戦場完全ガイドvol.12】

関ヶ原古戦場の福島正則の陣跡は、21号線より南側の春日神社の中にあります。
福島正則は東軍の先鋒という名誉なポジションを任され、対峙する西軍副大将の宇喜多秀家隊と戦います。

福島隊には槍の名手である可児才蔵がおり、いくつも首級を上げたと言われています。
福島正則の陣跡は駐車場があり、場所も分かりやすいです。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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家康最初陣地の桃配山【関ケ原古戦場完全ガイドvol.11】

関ヶ原古戦場徳川家康の最初陣地は桃配山。
壬申の乱の時、大海人皇子が布陣した山で縁起のいい場所として家康も布陣したと言われています。

石田三成が布陣した笹尾山のモニュメントから見える場所が、まさにこの桃配山。
史跡は国道21号線沿いにありますが、当たりをつけておかないと通り過ぎる可能性が高い史跡です。
家康の床机石もあります。

目印はガソリンスタンド。その脇に駐車場があります。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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一気に見られる最後陣地・田中吉政・松平忠吉と井伊直政陣跡・東首塚【関ケ原古戦場完全ガイドvol.10】

関ヶ原古戦場の史跡巡りは一箇所、一箇所離れていて、車の場合は乗り降りを頻繁にしないといけなくて巡るのが大変。
そう思われている方に、唯一4つも一気に史跡が見られる場所、それが徳川家康最後陣地→田中吉政→松平忠吉・井伊直政陣跡+東首塚です。

なぜセットで見られるかですが、この史跡は最後陣地が広場になっていて、松平忠吉・井伊直政陣陣営の陣跡まで一本の道でつながっているのです。そして松平忠吉・井伊直政陣と東首塚は同じ場所にあり、一気に4つセットで見られるというわけです。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
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松尾山の麓にある脇坂安治陣跡【関ケ原古戦場完全ガイドvol.9】

小早川秀秋の裏切りを間近でみた武将。
それが脇坂安治なのではないでしょうか。

というのも、関ヶ原古戦場松尾山のすぐ麓に陣を張っていた脇坂。
近くを守っていた、朽木元綱(くちきもとつな)、赤座直保(あかざなおやす)、小川祐忠(おがわすけだた)とともに、東軍に寝返り、大谷吉継隊・平塚為広隊らを追い詰め、壊滅させました。

その裏切りに呼応した4武将の中で、一番処遇が良かったのは脇坂安治。
本領安堵で、江戸時代までお家は続きました。

そんな脇坂安治の陣跡は21号線より南、戦国ロードから少し折れたところにあります。
少しわかりにくいですが、戦国ロードを通って、大谷吉継の陣跡から21号を渡り、少し進んだところにあります。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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西軍最大の兵を率いた宇喜多秀家の陣跡【関ケ原古戦場完全ガイドvol.8】

関ヶ原古戦場の宇喜多秀家の陣跡は、天満山の南側。
戦国で1・2を争うといわれる美男子・宇喜多秀家の陣跡をご紹介します。

同じ天満山に陣を張った小西行長の陣跡は、合戦後、池が作られてしまったので遺構はありません。
そのため「どこが山?」状態ですが、宇喜多秀家の陣跡は天満神社の中にあり、裏手には天満山があります。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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小西行長の陣跡と関ヶ原合戦開戦地は同時に見学可能!【関ケ原古戦場完全ガイドvol.7】

キリシタン大名の小西行長は、関ヶ原合戦では、宇喜多秀家の北側に約6000の兵を率い、前線で戦います。

天満山の北の方に陣を張り、開戦の烽火(のろし)をあげたのも小西行長なです。
ここは北国街道、南は中山道を押さえる重要な場所で、島津。宇喜多・大谷・平塚・戸田らと守っていました。

関ヶ原古戦場では、小西行長の陣跡がセットになっているので、古戦場めぐりではアクセスしやすいスポットです。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり

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島津義弘の陣跡、敵中突破と退き口ルート【関ケ原古戦場完全ガイドvol.5】

松尾山からの裏切りで混乱する西軍、
大谷吉継の自害、宇喜多秀家隊、小西行長隊、石田三成隊の敗走。
ぐるりと的に囲まれ、敵の中に孤立してしまった島津軍。

その選択はまさかの東軍の中を駆け抜ける敵中突破。
島津軍300のうち、生きて戻れたのは80数名といわれています。

苦しい帰路の中で東軍・井伊直政隊の追撃という激戦を戦い抜いた【島津の退き口】。
ここは島津軍の陣跡と同じくらい、関ヶ原古戦場の中でも必見の史跡です!

島津軍の足跡を体感したいという方におすすめです。
私は車でたどりましたが、それでも苦しい戦いを想像し、体感することができました。

※なお、東西両軍の陣営や場所、関ヶ原合戦全体を知りたい!という方は次の記事をご覧ください。
→【関ケ原古戦場めぐり・地元民による完全ガイド!トイレ情報あり
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