櫓の大きさの差、排水口がポイント。岡崎城の月見櫓の現地説明会に参加しました

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9月2日に行われた、一般向けの岡崎城月見櫓などの発掘現地説明会に行ってきました。
今回は岡崎城の本丸の南東にあったとされる月見櫓と脇多門櫓、平櫓の跡を8月14日から9月22日まで調査しています。

ほぼ知識のなかった岡崎城でしたが、8月下旬の「三浦正幸先生と行く 岡崎城月見櫓と暮六つツアー」に参加しました」で、かなり理解が深まりました。

午前と午後の2回で午後の部に参加しましたが、たくさんの人が参加していました。



実際の大きさと排水口の存在


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受付を済ませて資料をいただきます。

受付付近には出土した瓦などが展示されていました。

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明智家の桔梗紋の屋根瓦もありました。関連性については説明はありませんでした。

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こちらの手作り感あふれるステージで、教育委員会の方が20分ほど説明をしてくださいました。

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まずは月見櫓の立地について、いただいた資料を抜粋します。

・岡崎城の月見櫓は明治5年の古写真に写っていて比較的新しい時代の資料がある。しかし明治6年の廃城令で天守とともに解体。

・古写真の櫓の建築年代は特定できないが、本多家城主時代(1601年~45年)の絵図にも同じ位置で建物が描かれているので、この頃にはすでに2階建ての月見櫓があった可能性が高い。

・月見櫓、脇多門櫓、平櫓、風呂谷門と建物が連続していて、遮る建物がない。月見の立地としても、有事の時には風呂谷曲輪の通路を見下ろして攻撃できる立地でもある


古写真だけでなく、絵図の月見櫓を元に時代背景を説明していただきました。江戸時代前半の前本多家時代では、平面図で□が二重になったマークが書かれていますが、これが2重櫓を表しているとのこと。

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さらに水野家~後本多家時代では1781年の写しによるとちゃんと2階建てになっていました。

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さらに江戸時代後期の岡崎藩士・松下鳩台の絵図によるともう少しディテールが細かくなります。
月見櫓の2階に高欄が書かれていて、シャチホコがあります。
しかしのんきにお月見だけをしていたのではなく、狭間的な窓もしっかり描かれているので防衛施設としての機能を果たしていたようです。

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明治5年頃の古写真のほうがよりはっきりと書かれています。

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明和7年(1770年)の「書上覚書」で月見櫓などのサイズがでています。

・月見櫓 桁行3間1尺(約5.7m) 棟行3間2尺(約6.0m)
・脇多門櫓  桁行9間(約16.2m) 棟行3間(約5.4m)


実際発掘してみると月見櫓の長さは記載されているものよりも、桁行が約6.2m 棟行が約8.7mともう少し大きいということがわかったそうです。まだはっきりしたことがわからないので、これから検討していくとのこと。

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これも櫓の部分とかぶっている?という妄想。

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脇多門櫓、平櫓に至っては排水口の角度がポイントになるようです。
石組溝がでてきているのですが、大きさから軒下に位置する排水口と考えられているようです。

さらに脇多門櫓から石組溝が平櫓沿いに折れている状態が確認されたとのこと。

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説明をしている方に聞くと角度は不明とのこと。

水を流すなら流したい部分から角度をつけるのかなと思いますが、そうした角度は特にみあたらないのだとか。
その雨水はどこへいったのかも、そのうちわかるかもしれませんね

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参加者さんが「松の木を移動させて掘ることはできないのですか」と質問していました。
答えは「調整が必要ですが、立派すぎるので多分難しい」とのこと。発掘と景観維持の矛盾はつきものですね。

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この階段の下が風呂谷曲輪。
防衛目線では横矢がかかる恐怖の極小な坂ですが、現代はほんわかしたお散歩コース。
こういう現代の平和と当時の緊張というギャップを感じるのも楽しみの1つ。

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おやつは岡崎城では有名な半蔵餅を。

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忍者モチーフの餅。おいしいです。

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今回の発掘調査はものすごく重要な新発見までは行き着かなかった感じですが、今後の遺構を調べる上で手がかりになりそうなポイントがわかったとのこと。

排水口のことや、実際の月見櫓の大きさなどがわかってくるのが楽しみです。




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カテゴリ:戦国ネタ