「三浦正幸先生と行く 岡崎城月見櫓と暮六つツアー」に参加しました

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8月の下旬、プレミアムフライデー夕涼み企画「三浦正幸先生と行く 岡崎城月見櫓と暮六つツアー」に当選したので、行ってきました。
夕涼みというワードに惹かれましたが、当日は猛暑日。涼しくはありませんでした(笑)

しかし、三浦先生と一緒に岡崎城を回ることで、あまりよく知らなかった岡崎城の魅力を学ぶことができて大満足です。



暮六つツアーで1時間半の岡崎城プレミアムツアー


現在発掘調査中の岡崎城の月見櫓。9月2日(土)に現地説明会があるので、その前の特別企画としてこのツアーが開催されているのでしょうか。あまり岡崎城を知らないので、これはいい機会と思い応募。

今回は夕7つと暮六つの2つがありましたが、暮六つのほうに参加しました。
17時から18時半までの1時間半のコースというわけです。

集合場所は岡崎城の天守前。暑くて体調が心配だったのでスポーツ飲料を購入して参加しました。
受付を済ませて資料をいただきます。

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三浦正幸先生が登場。暑いので水分補給は遠慮なくとのこと。
こんなに暑いのに爽やかです。

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1時間半と時間が限られているので、岡崎城とはなんぞやの説明を簡単にいただき、天守の石垣の見学に行きます。

ここでは石垣から年代が違うものを読み解くという見方を習いました。
岡崎城の場合は松平時代、1590年代の豊臣秀吉の政策による田中吉政時代のもの、1600年以降の家康・権現様時代以降の3つに分けて考えます。

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長い石は古い時代のものだと教えていただきました。

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発掘現場に入れてもらえた月見櫓


お次は天守すぐそばにあり、現在発掘中の月見櫓へ。
ツアー参加者は特別に入れてもらえました。

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まずは月見櫓の建っていた場所を見せていただきます。

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江戸時代後期の「家山樵談」の絵によると、2階建ての月見櫓の横に、2階建ての多門櫓が建っています。

いただいた資料でも「岡崎城の月見櫓は二重(二階)の櫓で、本丸の南側に建てられている。菅生川に面して場外の見通しが聞く場所であり、物見櫓の役割も果たしていた」とありました。

その名の通り観月の宴用の櫓ではあるものの、川沿いの見張り台としての機能を果たしていたようです。

コチラが多門櫓が建っていたという場所。

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殿様にとって天守は縁起の悪い場所で一生に1回入れればいいようなもの。
しかし川岸から見ると、2重櫓に背の高い月見櫓で天守を見えにくくしている「鉄壁の防衛」
敵の戦意を削ぐような感じになっていたのでしょうか。

日本一長い石垣・菅生川端石垣


龍城堀を出て風呂谷曲輪へ移動します。
ここでも横矢枡形の石垣をチェック。もう入れるもんなら入ってみろという臨戦態勢がスゴイ・・・。

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そして菅生川の川岸に降りました。ここは花見の時には沢山の屋台がでて賑わうところ。
見どころは、日本一長い石垣と3つの横矢枡形です。

昨年の4月に発掘調査の結果が記事になっていました。

岡崎城の石垣、400メートルで最長 発掘調査で確認 (日経新聞)こちらより、引用すると以下のように書かれています。

 愛知県岡崎城周辺の発掘調査で、城の南側にある乙川沿いの石垣が切れ目なく400メートル続いていることが確認された。岡崎市教育委員会によると、直線に続く城の石垣としては国内最長という。
 乙川を堀代わりとし、石垣を築くことで高い防御力と治水効果を持たせていた。市教委社会教育課の山口遥介主査は「徳川家康ゆかりの城として、いかに重要視されていたかが分かる」と話している。


石垣は直線的な石垣城壁として全長は約400メートルにおよび、石垣の総高が5.4m(地中に3mほど埋まっている)あることが確認されているそうです。

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しかも3つも横矢枡形があるというのは、岡崎城だけだと三浦先生はアツく解説してくださいました。

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この発見があるまではこの場所は船着き場だと思われていたそうです。
その証拠に船の銅像が・・・。

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広場とコスプレ撮影ベストスポット化としても有名。菅生曲輪・切通し


だんだん暑さも和らぎ、夕涼み感がでてきたのは、菅生曲輪についたころ。
こちらは第二駐車場付近であり、現在は市民の憩いの場である広場として使われています。

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資料から菅生曲輪の説明を引用すると、「本丸や二の丸、三の丸のあるところから約8メートル低い低地上にある。東曲輪横の南(東)切通で三の丸に通じていた」とのこと。ここは重心の区画の広い屋敷、足軽が住まう長屋があったそうです。

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そして広場を横切り、切通しへ。これは見ごたえありました。

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何も知らずに通ったことはありますが、その時は「コスプレ用の写真撮影ベストスポット」としてこの切通しの説明があったような。

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今では写真用のベストスポットとしても有効ですが、当時の切通は岡崎城が立地する丘陵の尾根筋を切り分けていた空堀で、後に堀底道として利用されたと考えられるとのことです。

菅生曲輪の枡形と東曲輪の東隅櫓によりガチガチの守りを極めていたようです。

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先生がお話されていた、豊臣秀吉の命で城を改修した大名の好みが面白かったです。

・岡崎城を改修した田中吉政は櫓好きでこの規模の城に17個も作ってしまって、正直やりすぎ。
・吉田城を改修した池田輝政は3重櫓好きで、浜松城を改修した堀尾吉晴は天守どーんの一点豪華主義。
・浜松城を復元する時、予算の都合で堀尾吉晴時代の規模の天守を復元できなかった。

こういう大名の好みの建築を知るのも面白いですね。

立派な城のデメリットは、その後の維持費が大変になるという点。
石高の少ない藩主が担当になると、お給料の半分以上を城の修復にまわさないといけないらしく、非常に厳しい状況だったそうです。

太鼓門、清海堀と持仏堂曲輪で家康時代の櫓を味わう


三の丸では都筑惣左衛門という本多忠勝の家老の屋敷絵図の大きさについて伺いました。

家老とは思えないほどの大きさを誇る都筑惣左衛門屋敷は、徳川秀忠の旗本になったという家老ですが身分の高さからこの大きさになったのではないかとのこと。1~3万石の大名屋敷と同等のレベルらしいです。

こんな例外を見ると、江戸時代の格差は幅広いなと思いますね・・・。

浄瑠璃姫のお墓などを経て、また本丸の方へ移動します。

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こちらが家康時代(松平時代)の堀がある清海堀と土の櫓台。まだ石垣ではなく土作りですが、尖った形で小さめです。

しかしこれは非常に効率的な形になっているのだとか。
まずは侵入する敵をくまなく見渡せるポジションに作ることが前提ですが、作る時に土の量が少なくて済む、さらに狭いと配置する兵士の数が少なくて済むそうです。

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しかし堀の一部分には石垣がありました。これは後の修復で使ったものではないかとのことでした。

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そして暮六つツアーらしく、時間を知らせる太鼓の音が。
ここは天守へ入る入口の太鼓門で、上では武将隊の酒井忠次さんが太鼓を叩いていらっしゃいました。

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この太鼓は城門を閉める合図で、夕7つと暮れ6つに叩かれていました。
回数としては100回(約10~15分くらい)で、その間に戻らないと大名屋敷に住んでいる人は屋敷に帰れないという重要な合図。
当時はここで叩けば岡崎城下に響き渡るような音だったそうです。

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最後に天守付近の石垣について説明をしていただきました。
こちらは江戸時代のものなので、石に飾りがしてあるということ。
石工さんのパワーと技術の差が歴然だという話でした。

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これは几帳面な熟練工作。

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力はあるけど技術はまだまだな人。

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力しかない雑な人。

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そんな風に石垣を楽しむのも面白いですね。
これと言った見どころをまだ知らなかった岡崎城ですが、今回三浦先生の解説とともにまわってみてすごく面白かったです。
味わうところがたくさんあったんですね。

私のような初心者向けにとてもわかりやすく説明してくださったので、お話いただいたことと資料で理解ができました。
岡崎城に興味が湧くきっかけとなったイベントでした。

ありがとうございました。



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カテゴリ:戦国ネタ