堀や土塁が住宅街にある不思議。豪徳寺にある世田谷城跡に行ってきました

IMG_4470_R
まさか世田谷区に城跡があるなんて。
元・世田谷区民として行っておきたい城跡、「世田谷城址公園」にいってみました。

場所は小田急線の豪徳寺駅より徒歩15分、東急世田谷線の上町駅より徒歩5分です。



堀と土塁がシッカリ見られて驚いた


私が以前住んでいたのは田園都市線沿いなので、小田急線沿いは生活圏内ではありませんでした。
しかし、東急線世田谷線はちょくちょく使っていたので、迷わず上町駅からトコトコ歩いてみました。

久々の世田谷線に乗れてかなりテンションが上っていましたが、迷うことなく世田谷城阯公園にすぐ到着。
思い出にひたる間もありませんでした。

こちらは看板。

IMG_4460_R
横長の遺構に見えますね。

IMG_4458_R
別の入口には縄張り図的な情報がありました。
看板の情報によると、遺構は破壊されている部分が多く判然としない部分が多いが、「複雑に展開する8箇所以上の郭や土塁、堀で構成されている」と書いてあります。

IMG_4472_R
『図説 中世城郭事典』の世田谷城の項目によると、以下のように書いてありました。

世田谷城の主郭は台地先端のIの曲輪(メインらしき縦長の曲輪を指しています)である。
西側に大きな土塁を作り、突端は櫓台を作る、かなり狭いが本来東にも台地はのびており、住宅によって崩されたのである。
この曲輪をめぐるように巨大なV字形の横堀を回す。かなりの比高差を持ち、土木量の大きさは戦国盛期のものに匹敵する。
この横堀を入れなければ、台地自体はかなり広く使えるのに、こうした形で要害化させざるをえなかった緊張状況があったのであろう。


ちなみに中世の世田谷はまだ開拓が進んでいなくて、城主の吉良氏自身も開発領主として開発に従事していた可能性もあるそうです。
近くある井伊家のお墓がならぶ豪徳寺は、吉良家屋敷だったのではという見解もあるとのこと。

いずれにせよ遺構が破壊されていて、確かなことはあまりわからないようです。

公園内の階段をあがってみました。

IMG_4461_R
見下ろすと空堀のようなものがありました。
こちらは階段をおりて歩道沿いを歩けば簡単に中にはいれます。

IMG_4466_R
幅も広く、土塁のようなものも見られます。
ただし蚊が多いので、夏は虫除けスプレーがほしいですね。

IMG_4470_R
世田谷城の看板。

IMG_4462_R
こちらは豪徳寺付近の土塁っぽい盛り上がり。

IMG_4474_R
個人的には、23区内で城跡をみることができたことが驚きでした。
住んでいる時はまったく気付きもしませんでした。こんなに身近にあるものなんですね。

『図説 中世城郭事典』に、吉良氏が当時住んでいたエリアの土地を鶴岡八幡宮に寄進したと書いてあり、より親近感がわきました。
そのまま、近くの豪徳寺にも足を伸ばしたのでその記録はまた次回書きます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリ:戦国ネタ