吉良氏の歴史に驚いた。西尾市にある東条城の味わい深さ

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先日、西尾市にある古城公園(東条城跡)に行ってきました。
恥ずかしながら初めて聞いた名前の城跡でしたが、駐車場も完備されており行きやすいお城でした。
そこまで高さもないので、軽い気持ちで登れます。



家康の親戚なのに、落城された皮肉な運命


そもそもこの東条城とは鎌倉時代にできた歴史あるお城のようです。

承久3年(1221年)に、足利義氏が築き、三男吉良義継を入れる。以後、義継を祖とする前期東条吉良氏と吉良尊義を祖とする後期東条吉良氏の居城となった。

引用元:Wikipedia


以降は、東条城の看板より得た情報をざくっとまとめました。


鎌倉時代、足利家三代当主の足利義氏が三河守護・吉良荘の地頭となり、その三男の義継は吉良荘東条を譲られたことが東条吉良氏の祖となりました。
その後14代の義昭となり、足利家が滅びるまで約300年ほど足利一門として栄えた名門だったのだそう。
そんなすごいルーツがあったとは。

ずっと先になりますが、吉良家は続き12代持広の時には、松平清康の妹と結婚。
松平家の親戚となっています。
しかも尾張守山での不慮の死(暗殺疑惑もある)を遂げた時も、家康の父がまだ幼いということで親代わりとなって松平家の危機を救ったこともあったそう。

戦国時代は皮肉なもの。持広時代、西条と東条に吉良家が分かれて内紛していて弱体化しているスキに、今川の配下に置かれてしまう状態に。

そんな時、1560年の桶狭間の戦いで今川義元が討たれてしまいます。

守ってくれる大名もいない状態に。
どうする吉良家。

しかし松平元康が三河一向一揆で苦戦している時に、三河一向一揆側を味方したため、1561年東条城はあっけなく落城。


早速登ってみよう


なんだか随分と悲しい歴史のお城ですが、今はちゃんと整備されているので登りやすいです。
こちらが入り口。2箇所あるようでこちらはちょっと駐車場から遠い方。

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細道を入って上がっていきます。

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こちらが入り口です。

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階段をのぼると右手に帯郭跡が。
草が多いので中に入るのははばかられますが、こういう看板を見るとほっとします。

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なぜか門。これは整備した時に作られたもののよう。

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その割には手斧の跡があり、昔ながらの工法で作ったのではないかと妄想しました。

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門をくぐると三の丸跡。東条城が落城した日のことが詳細に書いた看板が。
相当な至近距離で戦いが行われたようです。
壮絶な戦いを十分に感じ取れる看板情報。

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見張り櫓(復元)がある場所が、本丸跡のよう。
なんか立派ですね。

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三の丸跡の横にある八幡神社内に二の丸跡があります。

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遺構らしきものがほぼない東条城ですが、この二の丸の脇には土塁がちょっとだけありました。
これは嬉しいですね。

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ちなみにこれが看板の復元図。
二の丸、三の丸、本丸がそれぞれ独立していた典型的な中世の山城のようです。

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虎口感のない虎口跡。

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こちらが本丸跡。

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対面の現場。高さは結構あります。

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かなり広いのでピクニックなども楽しめそうですが、いかんせん草が多いので虫除けスプレーと長ズボンで防備するのがよさそう。

登ってみて東条城はなかなか味わい深いお城でした。
吉良氏のことをよく知らなかったので、看板情報はかなり役立ちます。
行かれる際には隅々まで看板をご覧になることをオススメします。

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カテゴリ:戦国ネタ